戦後80年
戦争体験を風化させない

戦後80年を迎え、戦争体験者の“生の声”を聞くことは貴重な機会となっています。体験者の思いや願いは忘れられることなく、次の世代が受け継いでいく必要があります。世界では戦争が起きている中で、あらためて命の尊さ、平和の大切さ、人権について考えましょう。

■問い合わせ先　広報戦略課(■TEL 0848-67-6007■FAX 0848-64-7101)
　人権推進課(■TEL 0848-67-6044■FAX 0848-64-4103)


戦争体験を語り継ぐ

三原市在住の元看護師中岡 ひでこさん（96歳）が幸崎中学校の平和学習に招かれ、戦時中の壮絶な体験を語りました。80年前の昭和20（1945）年８月６日、広島市に原子爆弾が投下されると、三原市内の看護学生だった中岡さんも駆り出され、現地で医師や看護師らに交じって被爆者の救護にあたりました。今も悲惨な戦争の実体験を語り継ぐ活動を続けている中岡さん。次世代の子どもたちに伝えたいメッセージとは―



「今日もいい天気」
朝遠くの空が
ピカッと光った

私は当時16歳で、西町にあった病院で働きながら看護学生をしていました。忙しい病院で、毎朝入院患者さんのために三原駅の裏まで牛乳を取りに行くのが日課でした。その日はちょうど8時に病院を出て、15分ほど歩いた頃に空を見上げて「今日もいい天気じゃね」と思った時に、空がピカッと光りました。「曇ってもないのにおかしい」と思ったけれど、気にする暇もなく、病院に牛乳を届けました。
それから看護師さんのご飯の準備などをしてから学校に向かいました。学校に着くとすぐ病院から電話があって「帰っておいで」と言われました。「おかしい、何があったんじゃろう」と思いながら病院に戻ると、おにぎりと水筒、もんぺと靴が用意されていて、それらを持って警察に行くように言われました。



トラックで広島市へ
「新型の爆弾が落ちて
焼け野原になっている」

理由も聞かされず、何も知らずに警察に行くと、40人ほど乗れる天井のない大きなトラックに医者や看護師さんと一緒に乗せられました。三原から西に向かい、八本松あたりまで行った時に初めて警察の人が話を始めて「今朝、8時15分に広島に新型の爆弾が落ちて、広島は焼け野原になっとる」と聞きました。



足の踏み場がなく
この世とは思えない
光景が広がっていた
思わず涙が出た

広島市に着いたけれど、そこは本当に地獄。足の踏み場もなく、車を止めるところもない。秋に落ち葉が落ちているくらい、全て、全て、歩くところもないほどにしびとがいっぱいで、そこは生き地獄以上、地獄を通り越してこの世じゃないところだった。親が子を呼ぶように「うおううおう」と言う人や、息が絶え絶えの人、全身焼けただれている人もいました。歩いてる人もいたけど、肩から皮がはがれてひものように引きずっていて、それを見たら思わず涙が出た。
焼け野原に、全部死人。警察から「死人を片付けて」と言われて、3人ぐらいで頭と足を持って運んで、その日は疲れ果てました。



目の前で息絶えた
幼い男の子

一日目の救護活動を終え、比治山にたどり着く前のこと。うなるような「ブーブー」と言う声が聞こえて、1歳半程の男の子がいました。唇は親指くらいに膨れて、目は飛び出していて。「ブーブー」は水のこと。飲ませたら死ぬのが分かるから、どうしようと思っていたら先生から「飲ませてやれ。飲ませても飲まさんでも死ぬ」と言われました。水筒の水を飲ませ終えたら、その子はもう息絶えてました。飲み口が当たるのも汚いと思ってたのに、自分でも分からないうちに、その子を抱きしめてわんわん泣きました。
私には息子がいます。わが子を見ると、あの時の男の子が生きていたら学校に行ったり、働いたりして暮らしていたのかなと考えます。



戦争はしてはいけない

戦争は本当にしてはいけない。かわいそうなんてものじゃなかった。戦争はこれから一生懸命働いて、家庭を作って、幸せになれる人をみんな不幸にしてしまうから。男の子は兵隊に行く、そんなのもう絶対にいやです。私は戦争に腹が立つ。
私は今この平和な80年を思いっきり生きて、生きて、生き抜いてきた。100歳になるまではしゃべり続けて、戦争はいけないということを皆さんに分かってほしい。皆さんにはゆっくりと生きてほしいです。



●中岡 穗子さん
前向きな言葉と笑顔が印象的な本郷町出身の96歳。75歳まで60年間看護師として働き、講師も務める。100歳まで戦争体験を語り継ぐことをめざしている。



あの子が生きていたらと80年たった今も思う


Think

これから、できることは何だろう？

中学生が感じたこと

●2年生　宗西君、天倉君
具体的な戦争体験を初めて聞きました。未来のある人たちを不幸にしていく戦争はしたくないです。目に見えないもので人の命を奪う原子爆弾の放射線の恐ろしさも知りました。核のない平和な世界をつくっていきたいです。

●3年生　森田君、田中さん
今まで平和学習をしてきて、戦争の恐ろしさや平和の大切さを分かっているつもりでしたが、中岡さんの話を聞いて、胸が痛くなり、戦争の恐ろしさを実感しました。戦争は人を幸せとは真逆にする。平和が続くよう自分にできることをしたいです。

＜他の生徒のコメント＞
●急に原爆が投下され、平和な日常がずっと続くとは限らないことに気付きました。
●戦争は平和に暮らしていた人の未来を奪ってしまうとても残酷なこと。私たちがこれから平和な世界をつくるためにできることを考える機会となりました。
●体験談は自分が考えているよりも苦しくて生々しかった。戦争は絶対にしたくない。


戦争体験者 遺族の願い

広報みはら令和6年12月号で戦争体験を募集したところ、戦争を体験した人やその家族から直筆の思い出や写真などが多数寄せられました。次世代につないでいきたい思いを紹介します。

※いただいた体験談の一部を抜粋し、掲載しています。


戦争のない平和を求めて行動を
私の親戚が広島に住んでおり、その父親は戦地へ、長男は学徒動員で朝早くから出ており、残った母親と子ども３人が8月6日に亡くなりました。その長男も別の場所で被爆し、当時被爆者に接触するとうつるといううわさがあったため、親戚にすら避けられ、その子にとって深い悲しみになったと聞いています。戦争は親戚や身近な人たちの感情までも変えてしまいます。
【西野・85歳・男性】


平和な社会は私たち一人ひとりの責務
義理の母の話。終戦後、出征した夫を待ち続けたそうです。子どもたちに「お父ちゃんは？」と毎日聞かれ、夕方になると「今日もお父ちゃんは帰らんかったのー」と話す姿を見るのが身を切るほどつらかったと言います。３年後、届いたのは白木の小さな箱、そして名前と「フィリピン戦死」と書かれた半紙でした。つらい思いをした母が語った一言一言が今も心に残っています。
【久井町・80歳・女性】


呉空襲を体験して
昭和20年７月の深夜、B29の大群と次から次へと降ってくるしょうい弾。母に手を引かれ、必死の思いで逃げました。街は一面焼け野原、足元には折り重なる遺体の数々。「ああ、生きていたんだ」と思ったことを覚えています。
今、世界では戦争が繰り返され、多くの人々が殺されています。もう二度と戦争をしてはなりません。
【宮浦・85歳・男性】


小学校生活で思い出すこと
広い運動場はさつまいも畑となっていき、運動場のほとりで遊んでいたことを思い出します。戦争の変化で食料品は不足し、餅に入れるあんは砂糖が無くなり、塩味になっていきました。
登下校時の爆弾に備え逃げ込む防空ごうが、道沿いの山裾に掘られ、今もその跡が残っています。見るたびに、あらためて戦争の怖さや現在の平和のありがたさをかみしめています。
【沼田東町・90歳・男性】


戦争体験をホームページで公開中

　市に情報提供いただいた本人や家族から寄せられた内容を一部抜粋し、市■HPで公開しています。
■問い合わせ先　広報戦略課(■TEL 0848-67-6007)

▲市■HP



「被爆80年史」をつづる

三原市の被爆者や被爆２世でつくる原爆被害者之会が、戦後80年を機に「被爆80年史」を制作しました。会長の苞山さんに話を聞きました。

ほうやま 正男さん●昭和4年4月8日西野出身。戦後は市営バスに長く勤務。平成25年から本会の会長を務め、県被団協副理事長も兼務。



原爆被害者之会の活動は？
犠牲者の慰霊や被爆者の健康と暮らしを守り支え合うこと。核兵器を廃絶し平和な世界を実現するため、学習や研修を行い、被爆の実相や体験を継承し伝える活動をしています。


戦争当時の三原市の様子を教えてください。
当時は物がなく、特に食べるものは貴重で、芋が主食でした。三原は空襲がありませんでしたが、夜になると遠くの空が赤くなり、どこかで空襲があったことが分かりました。
私は国鉄で機関助手として糸崎―広島間で乗務し、８月６日に広島市で入市被爆をしました。三原市民にも、被爆をした人や犠牲になった人がたくさんいました。


「被爆８０年史」制作の思いは？
核戦争は人類の絶滅に直結しています。誰一人として放射線の脅威から逃れることはできません。今、その危機に直面しているということを常に心に留めておいてほしい。核兵器廃絶のための思いを込めた資料として、この80年史を編集しました。



Move
平和の活動に参加しよう


慰霊と平和祈念の黙とうを

　広島市では6日、長崎市では9日に平和祈念式典が行われます。戦争の犠牲となり亡くなられた人のご冥福と、世界の恒久平和を祈りましょう。
　広島･長崎原爆の日は平和の鐘、終戦記念日は正午の時報に合わせて黙とうをささげてください。家庭や学校、職場などで、平和を願う輪を広げましょう。
【広島原爆の日】6日(水)8時15分
【長崎原爆の日】9日(土)11時2分
【終戦記念日】15日(金)正午
■問い合わせ先　人権推進課(■TEL 0848-67-6044 ■FAX 0848-64-4103)


慰霊碑会・灯籠会

　原爆被害者之会による黙とう、死没者名簿･折り鶴の献納、灯籠会が行われます。
■時　6日(水)(慰霊碑会)8時15分から
(灯籠会)19時から
■所　原爆死没者慰霊碑周辺
(本町一丁目･隆景広場)


遺族会の体験記・文集

　三原市戦没者遺族会婦人部が発行した体験記「征きて還らず」が中央図書館で閲覧、文集「戦争と母」が大和図書館で閲覧・貸し出しができます。


非核平和パネル展

　被爆の実相を学び、核廃絶への礎にするためのパネル展を開催します。
■時　４日（月）～28日（木）
■所　■問い合わせ先　人権文化センター
（長谷一丁目）
(■TEL 0848-66-1111)


戦後80年ホームページ完成

　戦後80年の平和に関する市の取り組みを紹介する■HPを制作しました。
・市長メッセージ
・関連行事
・平和宣言　ほか

▲市■HP


